南こうせつさんが『徹子の部屋』にご出演

みなみこうせつさんのトークが
とても聞き取りやすく心地よかったです。
徹子さんとの相性がピッタリ!!
徹子さんの話し方は、スピードがありますが、
理解しにくい部分が時々ありますね。
相手のペースにあまり合わせようとしない部分など
一般的なMCと異なっている所が魅力があるのかも
しれません。
 みなみこうせつさんの声質に惹きこまれて
聴こう聴こうとしてしまうのが不思議です。
謙虚さも含め生真面目さも併せ人間的に
愛される人の様に感じました。
細かな説明が本当に分かりやすくそのトークイメージが
画像になって脳裏に浮かんできてしまうくらいに楽しそうに
話す表情が素敵でした。
 
 大分県に移り40年経ちました。
年齢が今年の2月で75歳とのこと。
神田川がヒットして55年。
75歳になったご感想?は
「うんん–還暦の時なんて60歳 あぁーあまり変わらないじゃん」と
感じましたが、70歳になってからあぁーーちょっと違うかな??
体の動きが少し感じる事もありますが」と
とても元気そうにトークしている姿がはつらつとしていて流石のミュージシャン
だなぁと思いました。
1976年に初めて武道館コンサートをしていたそうですね。
48年前の武道館コンサートのビデオを観てあぁーこんなだったなぁー
たのしそうだなぁーと語っていたこうせつさん。
 幼少の頃、ご実家がお寺だったので小学生の頃、お葬式に小坊主として
衣を着て一緒について、お経を読んでたりしていた。
 一つ記憶に残っていたのは、70代の方が多かったと思っています。
80代の方がいらっしゃるとあぁー大往生とか言われていた時代ですね」
当時から考えると15年くらい違っているかも知れませんね。
「今まだ歌えるんだから大丈夫よ!!」と徹子さんはその部分は経験し
乗り越えてきたんですから75歳なんて!!と思っているのかも知れません。
今、人生100年時代ですものね。
 ブドウとか育てていた徹子さんとお母様でしたが、戦争になりブドウが
食糧難のため、カボチャになったそうです。
 大分の縁で高校の校歌を作って欲しいと依頼された
遥か果てしなく♪とくちずさんでいたら
折角だからギターで歌って欲しいと
『明日への旅』八分音符


 明豊中学校・高等学校 校歌の依頼があり
奥様が歌詞こうせつさんが、曲を作られた
そうです。
学長さん曰く「校歌っぽい曲でなくても学校名は入れなくても
若者が希望をもってもらえるようにエールを送るような曲を」と
作りやすいようにしてくれたのでしょうかとか
言っていました。
 さわやかな良い曲でした。
 「野球が強かったのかもしれませんが、甲子園に行ってその曲が
流れてとても嬉しかった」と。
エールが選手に届いたのでしょう。

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